

今日の湘南は、良いお天気で、暑くなりそうです。


三連休、皆さんはいかがお過ごしでしたか?
私の場合、祭日にお休みをしていると月曜日の生徒さんのレッスン回数が少なくなってしまうので、月曜日で祭日の時にもレッスンがあります。


曜日による不公平をなくし、どの曜日も全て公平にレッスンをしています。


発表会などを含め、年間40回レッスンにさせていただいたので、以前より楽になりました。


レッスン回数を減らすお手紙を配布した時には、皆さんから心のこもったメールがありました。


誰ひとり、文句を言う人もいなかったし、誰ひとり辞める生徒もいなかったんです。


私の生徒さんたちは、みんなプラスのエネルギーに満ち溢れているのですね。


本当にありがたいことです。
生徒の皆さんの温かいお心に、感謝です。


さて、今日は、朝からリリスでコンクールのリハーサルを行います。


もうすぐコンクールがあるので、みんなだんだん本気モードになってきました。


コンクールを受けてるみんな、頑張ろうね


1時半から夜までは自宅で連続13人のレッスンがあるから、今日もフル回転の一日になりそうです。


お昼ご飯は、車の中で摂ることになるかな?
でも、今日も、るんるんで頑張りま~す。



こうして、毎日毎日、朝から晩まで忙しくしていても、身体が健康であるから楽しくレッスンができるんですよね。


身体と心は一緒。
身体が健康であれば、心も健康になれます。


我が家の長い外階段の昇り降りで鍛えられてるのかも?笑
健康な身体にも感謝です。


ところで、写真は、ジャズピアニストの上原ひろみさん。
彼女は、1979年生まれで、20歳の時にバークレー音楽大学の作曲科に入り、その後、世界的なジャズピアニストになりました。


あれは確か、彼女が24歳ぐらいの時だったと思うのですが、「情熱大陸」で彼女の一日を取材していたのですよ。


ジャズピアニストになりたくて、単身アメリカに渡り、重たいキーボードを肩からぶら下げ、キャスターバッグを引っ張りながら、ライブ活動をしていた無名の頃の上原ひろみさんを。
肩書きは立派でも、まだまだ売れないジャズピアニストで、ライブのギャラも安く、交通の手段は徒歩か地下鉄。
ニューヨークのライブに行くのも地下鉄に乗り移動し、たったひとりで重たいキーボードをぶら下げ、キャスターバッグを引っ張ってる時に、歩きながらのインタビュー。
記者の人に、
「え?いつも移動は、地下鉄なんですか?
荷物が重そうですが、タクシーを使ったりは、しないのですか?
いつも、ひとりなんですか?」
みたいに質問されていました。
その質問に彼女は、ちょっと恥ずかしそうに下を向き、
「まだまだ、ギャラが安いから…」
と、答えていました。
もともとクラッシックピアノをやっていたけど、どうしてもジャズピアニストになりたくて、大学を辞めて、たったひとりでアメリカに渡った彼女。
自分を売り込みながら勉強して、20歳の時に見事バークレー音楽大学に合格した彼女。
その後、なんと、主席で卒業


そして、世界デビュー


「絶対に、夢を諦めたくない」
誰の手も借りず、たったひとりでアメリカ独り暮らしを頑張っていた当時の彼女から出た言葉には、強い信念を感じました。
「情熱大陸」の取材を受けた時には、こんなに有名になるなんて思ってもいなかったかもしれません。


でも、彼女は、夢を諦めずに努力を続け、世界のトッププレイヤーになったんです。


本当に素晴らしいことだと思います。


彼女は、毎日、自分の限界を超えるほど、頑張ってきたのだと思います。
だからこそ、「今」があるのでしょうね。


「絶対に、夢を諦めたくない。」
もし、いま、夢を描いている人たちがいたら、私は、その話をしてあげたいと思います。


「夢を諦めず、コツコツ努力を重ねていけば、必ず夢は叶う。」
上原ひろみさんを見ていると、そう確信できます。


必ず夢が叶うと信じて。
私自身にも、大きな夢があります。


その夢の実現のために、いま、自分の限界を超えて頑張っています。
毎日、ほんの少しづつ、自分の限界を超える経験をしていくと、限界の器が大きくなるような気がするんです。


それが、私の「ありのまま」の姿。
これからも、努力を重ねて、夢の実現のために頑張っていきたいです。


今日のリハーサルもレッスンも、頑張るぞ~


ではでは、そろそろ支度をして、リハーサルに行ってきますね。


今日も、皆さんにとって、素晴らしい一日になりますように~


どんなに小さなことでもいいから、「夢」を持ってみてくださいね。


私にも、小さな夢もたくさんあります。


ウエストマイナス3センチとかね!


あはは!!
では、また~


「上原ひろみ」
バークリー音楽大学ジャズ作曲科とCWP(Contemporary Writing & Production)科を首席で卒業。
制作に参加したアルバム「THE STANLEY CLARKE BAND FEAT. HIROMI(スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング 上原ひろみ)」が第53回グラミー賞「Best Contemporary Jazz Album」(ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム)を受賞した。
毎年、世界を舞台に約100日150公演のツアーを続けている。
日本人アーティストでは唯一となるニューヨーク・ブルーノートでの8年連続一週間公演を成功させている。
ドリームズ・カム・トゥルー、矢野顕子、東京スカパラダイスオーケストラ、熊谷和徳、笑福亭鶴瓶らとの共演ライブも行っている。
使用するピアノのメーカーはすべてヤマハ、シンセサイザー(キーボード)は、Clavia Nord Lead 2Xである(その回によって他の機械が複数ある場合がある)。
生い立ち
1979年、静岡県浜松市に生まれる。
1985年、6歳でピアノを始める。ヤマハ音楽教室では、ピアノとともに作曲も学ぶ。また、15歳以下の子供たちが参加する、ヤマハ音楽教室主催の「ジュニアオリジナルコンサート」(ヤマハでは、JOC と略称する)に何度も参加した。
1987年、8歳の時、ピアノの教師宅でジャズのレコードを発見。以降ジャズへの傾倒が始まる。その後もジャズ好きの教師たちに恵まれ、周りの影響で小学校時代からすでに、オスカー・ピーターソンやエロル・ガーナーに熱中する時代を送り、当時からインプロヴィゼーションをこなす。校内の音楽会で発表するため、人気アニメの主題曲「おどるポンポコリン」を独自に編曲。楽器パートの譜面作りもすべて一人で行い、周囲を驚かせた。
1993年、14歳の時にチェコに行く機会があり、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演する機会をもつ。
1994年、NHK趣味百科「ピアノで名曲を」に生徒として出演。シューマンの「幻想小曲集作品12 (シューマン)」から「飛翔」「なぜに」を演奏した。
1995年、静岡県立浜松北高等学校に入学。在学中は、ロックにものめり込んだ。
12月、16歳の時、上京したおりにたまたまヤマハで来日公演のためのリハーサルを行っていたチック・コリアと出会い、彼にうながされて目の前でピアノを弾いた。彼女の技術に感銘を受けたチックも加わり、その場で即興での共演となった。彼女の卓越したピアノの才能を見抜いたチックは来日公演の最終日に彼女をステージに上げ、今度は観客の前で共演を果たす。その後、チックの見立て通り、見事に音楽的才能を開花させた彼女は、国内外のコンサートに出演するかたわら、日産自動車や花王などのコマーシャル・ソングを作曲。
1997年 ミシシッピー州知事からの招聘を受けたヤマハが、現地のサリアマラ国際芸術財団とヤマハ・アメリカ共催で開催したチャリティ(インターナショナル)ジュニアオリジナルコンサート(JOC)に米国の子ども8名とともに特別ゲストとして参加。このコンサートは全米三大ネットワークでテレビ放映された。
1999年、20歳のとき、長年付き合いのあるヤマハの音楽支援制度で留学奨学支援(奨学金)を得たのを機に、マサチューセッツ州ボストン市にあるバークリー音楽大学への留学を決意。20歳で法政大学法学部を中退し、渡米する。留学の主要な目的はピアノ修行ではなく、作編曲技術の習得であったので、作編曲科に入学した。
デビュー
2003年4月22日、バークリー卒業を目前にして米国のジャズの名門、テラーク・レコードと契約。デビュー・アルバム"Another Mind"(日本盤『アナザー・マインド』)をリリースし、世界デビュー。アーマッド・ジャマルと、その友人バークリー音楽院の指導者でジャズ・ベーシストのリチャード・エヴァンスによる共同製作作品として結実することになる。上原はデビューアルバムで、たった3人編成のピアノ・トリオで、どこまで音楽を拡張できるかを課題として追究した。その後、全米各地のジャズフェスティバルに出演。
5月3日、第8回ケネディ・センター・メアリー・ルー・ウィリアム・ウィミン・イン・ジャズ・フェスティヴァル(Eighth Annual Kennedy Center Mary Lou Williams Women in Jazz Festival)にトリオで出演、そこでの演奏は「ロック、ファンク、ジャズ、パンクと音の力を究めた」と評価された。
5月11日、バークリー音楽大学を首席で卒業(小曽根真に次ぐ快挙)。
6月25日 ユニヴァーサルより日本盤『アナザー・マインド』リリースし、国内で正式デビュー。
10月19日 毎日放送製作のテレビ特集番組「情熱大陸」に出演し、ボストン在住の上原を密着取材した場面やニューヨークやヨーロッパツアーに同行取材して撮影したライヴ映像などが全国配信される。
12月13日 - キリンのテレビCMに登場。
2004年
3月10日、第18回日本ゴールドディスク大賞(主催日本レコード協会)で『アナザー・マインド』がジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
4月21日、セカンド・アルバム『Brain』をリリース。同アルバムはアメリカで『サラウンド・ミュージック・アワード<ニュースター賞>』を受賞。
2005年
活動の拠点をボストンからニューヨークに移す。
10月19日、サード・アルバム『スパイラル』をリリース。同アルバムは『ジャズディスク大賞 日本ジャズ賞』を受賞。
2006年
12月8日、昭和女子大学人見記念講堂で矢野顕子とジョイントライブを行なう。この年発売の矢野のアルバム『はじめてのやのあきこ』にも参加。
9月 浜松市「やらまいか大使」に任命される。
ミラノ・コレクションで演奏。
ボストン・ミューシック・アワードの2006年ベスト・ジャズ・アクト受賞
2007年
2月21日、4作目のアルバム『Time Control』リリース。前作のトリオにDave Fiuczynski (g) を迎えて“Hiromi's Sonicbloom”というプロジェクトを結成。発売に際してタワーレコード渋谷店でインストアライブ、原宿で番組収録イベントを行う。
平成18年度(第57回)芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)に選出される。
世界最大のフェスティバル、英国「グラストンベリー・フェスティバル」に出演。
11月公開の映画『オリヲン座からの招待状』(浅田次郎原作、宮沢りえ主演)にメインテーマ曲「PLACE TO BE」を提供。また、劇中音楽を手がけた作曲家村松崇継はヤマハ音楽教室時代の同窓生。プロになって約11年ぶりに再会を果たした。
9月1日 デザイナーの三原康裕と結婚。
2008年
1月30日、チック・コリアとのアルバム「Duet:」をリリース。
5月28日、アルバム『Beyond Standard』リリース。
6月27日放送のフジテレビ『僕らの音楽』で絢香と競演。
12月30日、「第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞」を受賞。
2009年
4月、スタンリー・クラークとのプロジェクトとしてアルバム「JAZZ IN THE GARDEN」をThe Stanley Clarke Trio with Hiromi & Lenny White名義でリリース。
9月、アルバム『プレイス・トゥ・ビー』をリリース。初のピアノソロ作品。
2010年
1月26日、ソロ・ピアノ作品「Place to Be」をリリース(日本国内は2009年発売)し、アメリカのアマゾンのジャズチャートで1位を記録。
スタンリー・クラーク・トリオとして北米、日本をツアー。
6月2日、「THE STANLEY CLARKE BAND FEAT. HIROMI」を発売。
2011年
日本時間2月14日(現地時間13日)に行われた「第53回グラミー賞」で、バンドのメンバーとして自身も参加したアルバム「THE STANLEY CLARKE BAND FEAT. HIROMI」が第53回グラミー賞「Best Contemporary Jazz Album」(ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム)を受賞した。
2012年
4月1日、ニューヨークの国連総会議場で行われたユネスコ主催の「第一回インターナショナル・ジャズ・デー」に参加。
9月、「上原ひろみ Feat.Anthony Jackson&Simon Phillips」として「MOVE」(アルバム)をリリース。
2013年
3月『MOVE』の全米発売に合わせ、アメリカで最も権威のあるジャズ専門誌「ダウンビート」4月号の表紙に登場。(日本人アーティストとしては、秋吉敏子以来33年ぶり2人目)
4月、日本人アーティストでは唯一となるニューヨーク・ブルーノートでの9年連続6日間公演を成功させた。
8月、国立新美術館で開催された「アメリカン・ポップ・アート展」の公式テーマ曲を手掛ける
2014年
5月、「上原ひろみ Feat.Anthony Jackson&Simon Phillips」のザ・トリオ・プロジェクトとして3作目となるアルバム『ALIVE』をリリース