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Channel: 川添ピアノ教室。湘南・横浜うたのつどい。日々の出来事。
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ノートルダム大聖堂と「フランダースの犬」

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皆様、おはようございます!😊✨


ベルギー2日目は、アントワープのノートルダム大聖堂に行きました。

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アントワープのノートルダム大聖堂にはルーベンスが描いたキリストの絵があり、日本では「フランダースの犬」でも有名ですね。


皆様もご存知だと思います。


ーーーーーーーーーー

少年ネロと老犬パトラッシュは、ネロの祖父であるジェハン・ダースという老人とともに、アントワープから少し離れた小さな村に住んでいました。

ネロは2歳のときに両親を亡くし、祖父がこの少年を引き取ったのです。

彼らは牛乳売りの仕事をしていましたが、とても貧しい生活を送っていました。

少年と老人のたった一つの望みは、ずっとパトラッシュと一緒に暮らせることだけでした。

パトラッシュは、前に飼われていた金物屋に酷使され死にかけていましたが、老人の看護の甲斐あって丈夫な身体を取り戻しました。

「今度の飼い主は前の金物屋とは違うのだ」とわかったとき、彼は「二人に感謝し、愛し、そして生命ある限り彼らに尽くそう」と思いました。

ある冬、とうとう祖父が年と古傷のために歩けなくなると、6歳のネロが祖父の代わりに牛乳を売りに行くようになりました。

ネロは凛々しく愛らしい少年で、ネロとパトラッシュが荷車を引いて牛乳を売る姿を多くの画家が写生しました。

それほどにそれは美しい光景だったのです。

ネロは村からでも見えるノートルダム大聖堂によく足を運びました。

そして中から出てくると、決まってこう言うのです。

「あれが見られたらねぇ。パトラッシュ。。。」

あれとは何かパトラッシュには分かりませんでしたが、ある時とうとうパトラッシュはそれが何であるかを知ります。

それは、聖歌隊席の両側にある、二枚の大きな絵で、ルーベンスの描いた「十字架にかけられるキリスト」と「十字架からおろされるキリスト」でした。

ルーベンスが描いたこの二枚の傑作は、お金を払わなければ見ることができなかったのです。

もちろんその額は、日々の暮らしさえままならないネロに出せるものではありませんでした。

ネロは美術に強い関心を持っており、そして絵を描くことが好きでした。

彼はとても才能ある少年でしたが、そのことは本人すら知りませんでした。

ネロには大きな夢がありました。

「いつか偉大な画家になり、大きな家を持ち、その傍らには大好きな女の子アロアがいて、毛皮を着た祖父と、金の首輪をしたパトラシエがいる。」

それはあまりにも現実性のない夢でしたが、ネロはやがてそうなることを固く信じていました。

だから、聖徒祭の日、遠くから村中の子供だちの楽しそうな声が聞こえてきても、彼はパトラッシュに、

「やがて、今とは変わるのだからね」

と言い、未来を信じてじっとただずんでいました。

アントワープでは、年に一度、200フランが与えられる絵のコンクールがありました。

それは、18歳未満の画才のある子供を探し出すためのもので、応募の資格は年齢の他には特にありませんでした。

作品の搬入は12月の1日で、決定は、入選者がクリスマスに家族と喜びを分かち合えるよう24日に発表されました。

ネロはこのコンクールのために絵を描いていました。

それは倒れた木に腰をおろしている一人の老人の絵です。

その絵は未熟でしたが、老人の疲れと悲哀が見事に描かれ詩情すら漂う素晴らしい出来でした。

ネロは春からずっとこの絵を描いていましたが、それを知っていたのはパトラッシュだけでした。

ですがそんな中、キリスト降誕祭の1週間前、ずっと寝たきりだったネロの祖父がとうとう息を引き取ってしまいました。

ネロとパトラッシュは、その悲しみと、この世にたった二人きりで取り残された心細さに、泣きました。

ネロは葬式のために持ちうるすべてのお金を使ってしまったので、家賃を払えなくなってしまいました。

ネロの家主は、くつ屋の主人でしたが、彼は冷酷な男で、文無しになったネロに小屋を立ち退くよう命令します。

そしてクリスマスの前日、ネロは雪が降る中、とうとうパトラッシュを伴って小屋を出ました。

食べ物も飲み物もありません。

アントワープへの道の途中、ネロは知り合いの家でパンを乞いましたが、冷たくあしらわれてしまいました。

それっきり少年はもう二度と人に乞わず、ただ真っ直ぐアントワープの公会堂へ向かいました。

そこでコンクールの入選者の発表があるのです。

餓死寸前になりながら、ようやくの思いで辿り着いた少年を待っていたのは、高く掲げられた入選者の絵でした。

そしてそれは、彼の描いたものではなかったのです。

絶望感に打ちひしがれ、どんなに嘆き悲しんだでしょう。

少年はパトラッシュを抱きしめて言いました。

「いっさい終わってしまったんだ、パトラッシュ。いっさいが終わったのだ」

そして少年は老犬を伴い、飢えと悲しさで心許ない足取りで歩き始めました。

雪の降る道を住み慣れた村を目指して歩いていると、不意にパトラッシュが吠え出して、雪の中から小さな袋をくわえ出しました。

その袋にはアロアの父親の名前が書かれていて、2000フランもの大金が入っていました。

どうやらアロアの父親の粉屋が落としたものらしく、ネロはすぐにそれをアロアの家に届けました。

落とした金を探して外に出ていた粉屋は、失意の内に家に戻りました。

そして妻と娘の話を聞いて、とうとう改心しました。

そして、これまでネロに酷いことばかりをしてきたけれどネロに償うことを約束し、彼に何でも与え息子にさえしても良いと言いました。

明日の朝一番で少年を小屋まで迎えに行くと言うと、アロアは喜んではしゃぎ回りました。

その日、大聖堂の扉は開け放たれていました。

少年は餓死寸前で石畳の上に倒れており、パトラッシュが駆け寄ると低い叫び声とともに彼を抱きしめ、こう言ったのです。

「ふたりで横になって、いっしょに死のう。人はぼくたちには用がないんだ。ふたりっきりなんだ」

パトラッシュの目に涙が浮かびました。

それは、少年のために流した涙でした。

パトラッシュ自身も餓死寸前でしたが、少年の腕の中でとても幸せだったのです。

いよいよ二人が死の眠りに落ちかけたその時でした。

突然、雲間から月が顔を覗かせ、闇を照らし出したのです。

その光は明るく、ネロの前にくっきりと、ルーベンスの二枚の絵が浮かび上がりました。

「とうとう、見たんだ!」

ネロは大声で叫びました。

それはほんの一瞬のことでしたが、ついにネロは崇高な絵に描かれた神々しいイエス・キリストの姿を見ることができたのです。

明くる朝、ネロは石畳に横になり、愛犬とともに死んでいました。

粉屋と娘は泣き叫び、また少年の出展した絵に心を動かされた一人の画家がその死を嘆きました。

少年と老犬は生涯をともに過ごし、そして死んだ後も離れませんでした。

ネロがあまりにも強くパトラッシュをその胸に抱いていたので、村人たちが二人を同じ墓に入れたからです。

二人はこれからもずっと一緒なのです。

ーーーーーーーーーー


たまに、この物語を思い出すと涙が出てきます。

イギリスの作家の児童文学ですが、クリスマスの日に念願叶ってルーベンスの絵が見られたところで、ネロとパトラッシュが天国に召されてしまうという、いわば残酷な物語です。


昔、文学や演劇で「死して救われる可哀想な子供」の話が流行った時代があったそうです。


アンデルセンの「マッチ売りの少女」もそうですね。


小1になった時にお祝いで「アンデルセン童話集全10巻」を祖母に買って貰い、「マッチ売りの少女」を読んで号泣したのを覚えています。


「幸福の王子」のツバメも、死して天使に連れて行かれました。


これも号泣しましたし、その本の中の挿し絵も覚えています。


アンデルセンの「雪だるま」も。


その時代には、

「純粋なものには、この世で生きていくには、この世は汚れすぎている」

といった風潮があったようです。


それは、東大の上野千鶴子教授の、

「頑張っても、それが公正に報われない社会が、あなたたちを待っています。」

という祝辞に、もしかしたら近いのかもしれません。


でも。


今、なにか辛いことや、悲しいことがある人たちは、上野千鶴子教授の祝辞の最後の結びの、

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。

恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」

という言葉を忘れないで生きていってほしいと思います。


アントワープのノートルダム大聖堂の近くには、ネロとパトラッシュの像があります。


そして、今回新たに、モダンアートのようなネロとパトラッシュの像がノートルダム大聖堂の裏にありました。


ノートルダムもサンタマリアも、

「私たちのマリア様」という意味だそうです。

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アントワープのノートルダム大聖堂には、1657年にクルミの木で作られたパイプオルガンがありました。


どんな音なのか聴いてみたくて、大聖堂のショップでこのオルガンのバッハのCDを購入してみました。


以前、プラハの教会で、プラハ最古の教会のコンサートを聴きましたが、その時に聴いたパイプオルガンの音が忘れられません。



今回の旅行での収穫は、本当に沢山ありました。


ヨーロッパの歴史を学べ、様々な絵画に感銘を受けたおかげかもしれません。


これからも、更に学んでいきたいと思います。


川添雅恵

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